デスノート THE MUSICAL を観て

 

※以下、書き溜めた文章はあくまで個人の考え・想いです。

※稚拙な文章で申し訳ございません。

※舞台のネタバレがあります。観劇がお済みでない方、ネタバレが嫌な方は読まないようお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

デスノートは愛の物語へと変換された。

 


というのが私のデスノート THE MUSICALを観た感想です。2.5次元ですし、原作に触れましょう。

 


DEATH NOTEの何がウケたかと言えば、小畑健先生の細部までこだわった美麗な絵、表現と、大場つぐみ先生のドキドキハラハラさせる頭脳戦、誰もが目的のために邁進したその熱量だと思ってます。犯罪だとわかりながらも正義だと自分を鼓舞し、正当化し続けた月は、自分に害をなす非犯罪者を殺す度醜くなっていきました。当初掲げた崇高な正義は、月にとって都合の良い正義へとだいぶグレードダウンしましたが、目的達成への努力は惜しまず、本気で取り組んでいました。月とLは全力でぶつかり合いをしていた、その全力さが面白かったんです。そもそも死神の目の取引をしなかった時点で、月の掲げる正義はかなりチープなものなんですけどね。

 

 

 

 

 

 

ミュージカルではどうだったか。頭脳戦はあまり描かれませんでした。おそらく、ミュージカル化するにあたってかなり悩まれたのではないかと思います。そして、レムのリサを守る原作の行動から、この主軸を構築していったのではないか、なんてことを考えました。逆に愛がテーマでなかったら、妹も刑事たちも父親もなんで歌ってるんだ?と単純に疑問が残ります。

 


愛の物語としてこの作品を見ると、主役2人(+リューク)が蚊帳の外にいるのがとても面白いと思いました。作品のテーマに一切触れないのにこの2人が場を動かす。その2人の行動に翻弄される者達は愛する人への愛を語る。

 


何でこんな風に思ったかと言うと、これは役者さんの力量もあると思うのですが、夜神総一郎が月への思いを歌ったとき、そして刑事たちが自分の家族への思いを歌ったとき、この二つの場面がめちゃくちゃ心に残ったからです。素晴らしかったです。

 


原作では熱い頭脳戦が中心だったDEATH NOTEで、なぜこの場面で心動かされたのか、考えなくてはいけないと思いました。

 


最後、愛を語った人間は生き、語らなかった2人は死にました。そして悲しいことに愛を語った死神は死に、語らなかった死神は生きました。なんとも皮肉ですね。人間と死神は条理自体違う存在であると突きつけられたけれども、レムがミサに向けて歌う姿は聖母のようでした。

ミュージカル版はかなり愛に焦点を当てて造られていたと思います。

 


では原作の良さは無視されたのかと言えば、それも違います。頭脳戦に焦点は当てられなくとも、2人はバチバチにやり合っていました。とても熱いぶつかり合いを見せてくれました。

そして2人の互いに対する考えや思いなどの描写や歌も多く、原作のLが死ぬまでの時間をミュージカル版は3時間弱に濃縮されてる点を考えれば、原作よりも熱かったのではないでしょうか。本当に彼らは閃光のように駆け抜けていた気がします。

 


少年漫画らしい熱さを失うどころかさらに盛り上げ、周囲の心の機微により密着した作品だったと思います。

これも脚本家の作風なのかと思いますので、彼の他作品がどんな感じなのか知りたいと思いました。

曲・詞・演出は何も言えませんね。素晴らしかったです。特に曲は流石としか言えない。正直DVDもしくはCD欲しいと思いました。

 

 

 

以下はその他雑談になります。

模木さんは、実写のみならずミュージカルでもドンマイな扱いで、そこは笑っちゃいました。

本当はキャラクターに触れたいと思ったのですが、月やLよりも夜神総一郎や刑事たち、レムの方に心が傾いてしまって書けそうにありません。

主役の2人もすごく魅力的で、予想よりも歌も上手かったです。でも月とLは天才で人間離れしている設定なので、もっと場を支配してほしかった感はありました。

外国の方脚本ということで、もしかしたら感覚的にこっちの漫画文化と捉え方が違うのかもしれないという新しい発見もありました。こちらの2.5って、大体が原作の決め台詞や決めゴマはかなり力を入れて忠実に扱われますが、「新世界神となる」「正義は必ず勝つという事を」等のこっちで(オタクにとって)印象深い台詞として捉えられてるものはあまり表に出ませんでしたね。リュークにいつ言うのかなって思ってたらいつの間にか歌に"新世界の神なのさ"ってワードが出てきた感じでした。もう神になったのかー。

おそらく英語版DEATH NOTEを読んで作られたからってのが大きいのでしょう。日本人にとって衝撃的な決め台詞や決めゴマも、英語版ではそうでもないのかもしれません。加えて、割と日本では原作を崇高なものとして扱いますが、海外の方はそこまででもない。原作との向き合うスタンス自体が違うなって思いました。勿論翻訳や根底にある価値観や共通認識の違いもあるのかなって思うのですが、これはこれですごく面白いなと思います。